1 | 戦争で生きる国づくり |
2 | 日本の宝 |
3 | プラトーンにはならない |
4 | 反原発ホラー |
5 | ノーベル賞はカンフル剤 |
6 | 平均寿命と健康寿命のはざま |
7 |
ほんとに悲しい |
8 |
みたび許すまじ |
9 | 「無縁社会」の中の新たな「縁」 |
10 | かけがえのない命のバトンが渡された |
11 | ふざけるな |
12 | 命のリレー |
13 |
今に来るぞ、日本国家の自己破産 |
14 |
家族のお楽しみ |
15 |
失ってはじめてわかること |
16 |
平和の民 |
17 |
平和憲法を瞳のように大切に |
18 |
ようこそネットの世界へ |
19 |
メルボルン事件に思う |
20 |
裁判官と国民の距離 |
元倉エッセイ集 PartU ・・・・・・ << 目次 >> ・・・・・・
戦争で生きる国づくり〜(2015年1月1日)元倉
国が武器輸出への資金援助検討開始
−師走の総選挙後テレビ朝日の報道番組でギョッ!
低利融資、輸出先への武器の訓練・保守修繕支援など、
日本の武器輸出企業へのバックアップだ。
これを報じた新聞がどうやら東京新聞だけ
−とのキャスターの話しにギョギョッ!
4月1日武器輸出原則解禁のニュースは、
マスコミ各社一斉に報道したのに、である。
→続きを読む日本の宝〜(2014年8月15日)元倉
殺人は世界のどの国においても最も重い罪の一つであろう。
それは殺人が、国、種族、民族、
ひいてはヒトという種の存亡に関わるからだと思う。
他方で、戦争は何のかんのと正当化されてきた。
大量殺人であるにもかかわらず、だ。
しかし、正当化される戦争の範囲は、
経験の積み重ね、歴史の進展とともに狭まってきた。
人類の叡智の成果である。
→続きを読むプラトーンにはならない〜(2014年1月1日)元倉
四半世紀も前になる。
その映画の様々なシーンが頭にこびりついて離れなかった。
衝撃であった。
その映画、「プラトーン」(1986年)は、
初めて戦争の真実を描いた映画と高く評価され、
アカデミー賞作品賞・監督賞などを受賞した。
→続きを読む反原発いやがらせホラー〜(2013年8月15日)元倉
「反原発へのいやがらせの歴史展」に行ってきた。
8月10日午後のことである。
この日、観測史上6年ぶりに40度超えの地が出て、
東京都心でも37度にまでなったというが、
暑さにとても弱い私は息も絶え絶えに、
会場の新宿区区民ギャラリーにたどり着いた。
→続きを読むノーベル賞はカンフル剤〜36号(2013年1月1日)元倉
だが、「ただの」天才ではない。
「ただの」天才なら、日本人全体がここまで興奮しない。
日本人が興奮するのは、ノーベル賞受賞は、
「世界的」天才とのお墨付き、もっと厳密に言うと、
日本が「欧米列強」に負けない頭脳をもっていることの「証し」
と感じるからではなかろうか。
平均寿命と健康寿命のはざま〜35号(2012年8月15日)元倉
「無縁社会」の中の新たな「縁」〜32号(2011年1月1日)元倉
かけがえのない命のバトンが渡された〜31号(2010年8月11日)元倉
臓器提供の意思を書面に残さなかった脳死患者の臓器移植が、
その家族の承諾により実施された。
昨年2009年7月成立した改正移植法の施行から3週間あまり、
改正移植法に則った初めての臓器移植である。
臓器移植後進国日本における貴重な第一歩である。
→続きを読むふざけるな〜30号(2010年1月1日)元倉
今に来るぞ、日本国家の自己破産〜28号(2009年1月1日)元倉
個人が借金する場合、
大抵は、身の丈に合わない買い物をする時である。
一般的に堅実な日本人は、借金を嫌う。
借金を嫌う日本人でも、やむを得ないかなと思える借金といえば、
住宅ローンとクレジットの買い物くらいだろう。
地価の高い日本でキャッシュでの住宅獲得は至難の業であるし、
クレジットは現金持ち歩きの不便を回避できる。
→続きを読む家族のお楽しみ〜27号(2008年1月1日)元倉
失ってはじめてわかること〜26号(2007年1月1日)元倉
が骨身にしみた昨年だった。
ある朝突然右脚に激痛が走った。
立っているだけでも苦しいが、脂汗流しながら歩いても数十メートルがやっと。
しゃがんだり座ると嘘のように症状は消失し、また少し歩ける。
診断名は「腰部脊柱管狭窄症」。 高齢者に多発する病気らしい。
→続きを読む
平和憲法を瞳のように大切に〜24号(2004年8月1日)元倉
とポツリとつぶやいた。
すわ一大事、我が家に登校拒否児童発生か?!
どうしたというのだ学校大好き少年。
と動揺する思いを押しとどめ、話しを聞いたところ、
毎日卒業式の練習で君が代を歌わされるのが嫌だという。
息子たち小学5年生は、在校生を代表し、6年生の卒業式に列席する。
→続きを読むようこそネットの世界へ〜23号(2004年1月1日)元倉
10数年前、ワープロが流入した時、今より若かった私は、難なくその流れに乗れた。
ワープロソフトの方は難なくクリアしたが、
特にインターネット・メールの壁の前では、
長いこと呻吟した。
立派なデスクトップ型パソコン一式を買いそろえたのである。
仕事疲れをおして、夜の初心者教室に二度も通ったのである。
「猿にもわかるパソコン入門」などという指南書も読んだのである。
先達者達から話しも聞いたのである。
メルボルン事件に思う〜22号(2003年1月1日)元倉
事件直後の通訳を介しての取調べのビデオが
ニュースで流された。
「先進国」であり、
日本人観光客が大挙した訪れてきたオーストラリアにして、
こんな有様であったのか!
−日本人の多くがゾクッとしたのではなかろうか。
→続きを読む裁判官と国民との距離〜21号(2002年7月30日)元倉
陪審制はわが国にはそぐわないのでは?
ー16年前の司法試験で、
「司法への市民参加」との出題にこう書いた私は、
その4年後のニューヨーク、現地裁判官の
「我々の出発点は隣人に裁かれる方を望むとの価値観だ」
との言葉に衝撃を受けた。