路上に商品を山積みしている商店街の路上を、
幼女(2歳)がとことこ歩いている。
ワゴン車が幼女をはねた。ワゴン車は逃げた。
道に横たわる幼女のそばを幾人もの人が通りすぎる。
駆け寄って助け起こすでもなく、救急車を呼ぶでもなく、
ちらりと幼女に目をやるが何も見なかったように幼女をよけて通り過ぎていく。
あたかも、そばに山積みされた商品の一つがこぼれ落ちているかのように。
更に一台の車が幼女をひく。
その後も、通行人は幼女を無視して通り過ぎる。
中には倒れた幼女とさほど年も違わない幼女を連れた母親もいた。
この間約7分、19人目の通行人がようやく幼女に駆け寄った。
幼女は、その後昏睡状態の後、亡くなった。
その商店街に小さな自宅兼店舗を持ち懸命に働いていた若い両親は、
店をたたんで郷里に戻ったという。
この事件の背景には、
人助けをした人が被害者から逆に訴えられて損害賠償をさせられる事件が相次ぎ、
中国国内に「人助け=損」との空気が広がっていたとの事情があるとの報道もあった。
急激な経済成長を遂げている中国では、
とんでもない貧富の格差が出現している。
大多数の国民はいまなお貧困にあえぎながら、
一握りの富裕層が世界で札びらを切って闊歩している。
バブルの頃、
日本人が海外で札束をばらまいて顰蹙を買ったものだが、
その比ではない。
北京オリンピックの際、高い壁で貧民街を囲んでぼろ隠しをしたことも、
他国にとっては笑い話であった。
高速鉄道衝突事故の後の処理に唖然とさせられた。
政府が国民の命を軽んじていると。
しかし、この事故までは、
中国の一人一人の国民はそうではあるまい、とどこかで思っていた。
第2次世界大戦で、
中国本土を荒らし回り暴虐の限りを尽くした日本人が、
捨てていった子供たちを育ててくれた中国の人々である。
日本人が同じ事をできただろうか?
関東大震災、流言飛語に踊らされて国内の罪なき朝鮮人を虐殺した歴史を振り返る時、
大陸の人々の寛容さに、日本人は恥じ入り畏敬の念を抱かざるを得なかったはずだ。
それだけに、この事件は悲しい。
かの偉大な国は、今、本当に危機に瀕しているのではあるまいか。
