1 太陽の光にコバルトブルーに輝く一塊の物体が、
箱根湯本の蕎麦屋「はつ花」脇の早川の上流方向から
「チーッ」という鋭い声とともに
猛スピードで突進してきたかと思えば、
アッという間もなく目の前を下流の方へ
飛び去っていったのを見たのが、
私とカワセミ(翡翠)の最初の出会いであった。
20数年前のことである。
一瞬の出来事であったが、これがあの憧れのカワセミに違いないと確信。
その後、箱根湯本に弁護団の合宿や会合で出かける機会には、
双眼鏡とカメラを携え、
早朝や会議の後、早川沿いの小道を歩いてカワセミを探した。
そのうち、
「はつ花」脇の早川の両岸を繋ぐように架かるロープの上に留まったり、
やや下流の岩の上に留まるカワセミをじっくり観察・撮影する機会を得た。
2 伊豆の河津では、
河津川沿いの桜並木のカワヅザクラの枝に留まったり、
そこから河津川に飛び込み小魚を獲ったり、
ホバリング(停空飛翔)する姿を間近に見て、
更にカワセミに魅せられた。
翼や背面の輝けるその青色は、光線の加減で、
青緑色にも、翡翠色にも、コバルトブルーにも変化する。
オレンジ色の胸、腹部、長目の嘴、
珊瑚朱色の短い脚でずんぐりむっくりの愛嬌ある体型。
愛しい小鳥。

一時は、高度経済成長期の環境破壊で激減した。
川縁の土手に営巣するカワセミにとって、
コンクリートの護岸工事で営巣場所を奪われたのが痛かった。
最近では、都内でも、
多摩川の畔、善福寺川、石神井川、神田川や公園などで、
カワセミたちが復活しているのは喜ばしい限りである。
3 3月11日の東日本大震災の最初の大きな揺れが来たとき、
ちょうど日比谷公園地下の駐車場でエンジンを駆けようとしていた。
地下2階の天井が激しく揺れ、 今にも崩落するのではないかとの恐怖を感じた。
揺れが収まり身体一つで地上に出ると、日比谷公園内は、
周囲の官庁街やビルなどから避難してくる人々の群れであふれていた。
心字池のそばで待機していると、
カワセミがやって来て目の前の小枝に留まったのである。
不安渦巻く人々の群れの中でのつかの間の安堵感。
次の瞬間大きな余震に小枝が大きく揺れ、カワセミは飛び去った。
4 この夏、都内のある公園で、カワセミの繁殖が成功し、
カワセミのカップルが2番子まで育て上げた。
5月下旬には4〜5羽の1番子が、
7月中旬には5〜6羽の2番子が巣立った。
地元野鳥会の皆さんの、
生育環境の整備や子育てに十分な餌を毎日用意するなど
涙ぐましい援助の成果であった。
カワセミの子育ては、実に興味深い。
親鳥たちは、
巣立ち後、1週間近くは、幼鳥に餌を与えるが、
子供たちが餌捕りに成功するようになると、
親たちは、自らの縄張りから子供たちを追い出しにかかるのである。
ようやく餌捕りができるようになったばかりの幼鳥に対し、
飛びかかって追い立てたり、
親鳥が留まっている枝に幼鳥が近づこうとすれば、
大きく口を開きチッキーと声を上げ追い払う。
厳粛な「子別れの儀式」である。
粘っていた2番子たちも順次姿を消し、
雄雌の親鳥が姿をみせるだけになっている。
母カワセミの姿は、出産・給餌・子育てにくたびれ果てて、
胸の羽毛や羽を傷つけるなど痛々しいものだった。
が、今は、少し回復し、しかも3番子の抱卵中らしい。
新しいいのちの誕生に期待はふくらむ。
たくましいカワセミ母さんに乾杯!