* 万歳とあげて行った手を大陸において来た * 手と足をもいだ丸太にしてかへし * 胎内の動きを知るころ骨がつき (1937.11/15発行「川柳人」281号 鶴彬) |
体重管理のために中野の町をRUN&WALKしているが、
野方警察署の前を通る度に、鶴彬《つるあきら》に思いが至る。
昭和初期の戦争突入へひた走る暗黒時代に、
川柳を武器に平和と反戦を訴え続けた
若き詩人鶴彬に関する本を読んだ。
鶴が、冒頭に掲げた反戦川柳などの発表で、
治安維持法違反に問われ、逮捕(1937年12月)・留置されたのが、
野方警察署であった。
特高警察による拷問を含む執拗な「過激」思想放棄の圧力に抗して、
転向拒否を貫いたが為に、野方署留置場での留置は長期に及んだ。
鶴は、留置場の不潔・不衛生・劣悪な環境下で、
赤痢に罹患し極度に衰弱した(1938年8月)。
しかし、釈放されることなく、
戦時中思想犯や政治犯の収容所に使われたこともある
という豊多摩病院に移送され、
自費治療を命じられ、
回復することないまま豊多摩病院のベッドで絶命した(1938年9月)。
享年29歳であった。
尚、鶴の赤痢感染につき、特高に菌を盛られたのでは…とも言われている。
731部隊の人体実験の対象が「丸太」と呼ばれていたことは偶然ではあるまい。
鶴の生きた時代とは違い、日本国憲法の下で、
私たちは思想信条の自由を当然のこととして享受しているように見えるが、
他方、与野党を問わず、憲法9条を含む改憲論もかまびすしい。
憲法9条の下で、
「戦争をしない国」であり続けることが簡単ではないご時世となっている昨今であるが、
反戦の旗を高く堅持し、
29年の短い人生を燃焼しきった鶴彬の業績に学びたいものである。
鶴の生誕100年にあたる本年、
神山征二郎監督の手で、映画「鶴彬−こころの軌跡」が完成したのは喜ばしい。
広く鑑賞の機会を得たい。