「生」そして「死」のボダ−ライン〜5号(1992年7月30日)元倉

人間の「生」と「死」をめぐる問題は、ともにコウノトリ.GIF

医学の進歩のもたらした現代社会の大きなテ−マ

といえましょう。

 

「生」をめぐっては

最近顕微受精という画期的な手術方法が成功し、

生を人間の手で操作してよいのかの道徳的・宗教的な議論

出生後の子供に何らかの問題が出るのではないかの医学上の議論

などが再燃しています。

同じような議論は、

日本で人工受精が成功した約30年前にも、

そして体外受精(所謂『試験管ベ−ビ−』がイギリスで成功した約10年にもありました。

 

すやすや赤ちゃんA.GIFしかし、「生」を望むご夫婦の熱意と社会の支援が、

一歩一歩旧来の常識を変えて行き、

医学の更なる進歩を後押しして来たのだろうと思います。

子供1.5人の少産時代を迎え、

次は『代理母』が、この日本でも正面から議論される日も近いことと思います。

 

「生」の問題に対して「死」をめぐっての問題(安楽死・尊厳死、脳死問題)は、

より深刻だと思います。

 

私個人は、

確実に近い将来死を迎えるというのに苦痛に喘ぎながら、

家族にも負担をかけながら生き長らえるより、死を選びたいし、

脳死と診断されたら

せめて私の臓器を必要としている人達の役に立たせたいと思います。

 

ところが「死」の問題は、モノクロベッド@.GIF

道徳上・宗教上の問題だけでなく、

医学の更なる進歩による回復の可能性

臓器提供者の人権の問題

臓器売買業者の暗躍

相続問題など、

本人の意思だけでは解決できない問題が沢山あります。

 

「生」の問題に比べて人の「死」が

いかに社会的な問題であるかを物語っている思います。