5年前、リュック背負ってジーパン姿で、イタリアを旅行したとき、
シェスタという昼寝の習慣には驚きました。
お昼過ぎの2〜3時間町中のお店が閉まっており、
その閉店状況は壊滅的です。どっこも開いていません。
何度お昼を食べ損なったことか。
日本でこんなこと、あり得るでしょうか!?
3年前、母と二人で、
これまたリュック姿で中国を旅したときのこと、
飛行機が雨が強いとかで、突然欠航した。
案内係に何を聞いても、「メイヨ〜!」である。
(この「メイヨ〜(没有)」は、
中国滞在中最も多発された言葉である。
「ない。」との意味らしいが、知らない、わからない、いない、さぁね等々
要するに、その場逃れの実に実に無責任極まりない言葉なのである!)
老母と二人待合室でボーゼンと待つこと延べ30時間。
幸い、親切な中国在住の日本女性が声をかけてくれ、
途中の7〜8時間、その方の住まいで母を休ませてもらうことができましたが、
この幸運がなければ、私は永遠に中国嫌いになっていたことでしょう。
飛行機は翌日の夕方−その1時間前に案内が出ただけ−ようやく飛んでくれました。
日本でこんなこと、あり得るでしょうか!?
さて、日本での私の生活はというと、
一寸でも交通機関の時間が狂おうものなら焦りまくり、
歩く姿はまるで競歩のようです。
お昼抜くのはしょっちゅう(シェスタではなく仕事のせい)で、
時には朝・昼なしで夕食だけの一日一食という日も。
そんな日々の中で、ふと思い出したのが、
この腹立たしいイタリアのシェスタと中国のメイヨ〜である。
どこかで不便さや無責任さを受け容れなければ、
人は限りなく合理性と利便性を追求して、
自分の肉体と精神を酷使して、ついには壊れてしまうのかも知れない。
もしかして、
シェスタやメイヨ〜は、人間らしさを守るための大らかな知恵なのかも知れない。
女性の過労死も問題になっていることだし、
疲れていては目もつりあがろうし良い仕事もできないと、
労働時間短縮の努力を始めた今日この頃です。