※全て仮名。事情も若干変更あり。
離婚後300日問題とは?
離婚後300日以内に再婚相手など前夫でない男性の子を出産した場合
前夫以外を父親とした出生届は受理されないという問題である。
民法772条(離婚後300日以内に生まれた子は前夫の子と法律上推定される)
から生じる法と実態が齟齬する問題である。
では、前夫の子ではないことを法律上確定させる方法は?
家庭裁判所で「嫡出否認」や「親子関係不存在確認」の手続をとることなどが必要である。
これらの手続では、DNA鑑定等で前夫と子の親子関係がないことを調べるため、
前夫の関与が不可欠となる。
ここでは親子関係不存在確認の手続をとった、
20年前の事件と昨年の事件の2つのケースを紹介したい。
ケース1 | 1989年事件:無戸籍のまま25年 |
1 ここ数年、離婚後300日問題がクローズアップされてきたが、
20年前の当時は水面下の出来事であった。
弁護士1年目の私は、この時初めて離婚後300日問題に出会った。
ご夫妻は、結婚を控えた一人娘の戸籍を作りたいと話した。
パスポートを作って海外への新婚旅行に送り出したいという。
聞くと、その昔・・・、
元夫の現住所を調査し、
札幌家庭裁判所に親子関係不存在確認の調停を申し立てた。
25年の歳月は元DV亭主を穏やかな初老の紳士に変えていた。
元夫は快く協力してくれ、札幌家庭裁判所へは2度行っただけで、
娘さんと元夫との親子関係不存在は確認された。
その後戸籍も整え、
里江さんと勝さんは、
良き伴侶とともに
ハワイへの新婚旅行に旅立つ幸せ一杯の娘さんを
成田の空に見送った。
里江さんは、新婚当初から夫の激しい暴力にさらされていた。
当時はDV(ドメスティックバイオレンス)との言葉もなく、
社会的な理解も保護も全くなかった時代であった。
里江さんは、夫の目を盗んで逃げるように家を出た。
ひっそり息をひそめて生活する中で、優しい勝さんに出会い、
そして娘さんを身ごもった。
里江さんは、親戚を介して慰謝料など一円も要らないことを交換条件に、
夫からようやく離婚届の判子をもらった。
娘さんが生まれて戸籍役場で出生届を出そうとしたその時、
元夫の子としてしか出生届は受理されないことを知り愕然とした。
戸籍上勝さんの子に訂正するには元夫の協力が必要だった。
DV亭主の元夫がすんなり協力するとは思えなかった。
里江さんと勝さんは、悩んだあげく娘さんの出生届を出さなかった。
2 それから25年の歳月が流れた。
戸籍社会の日本で戸籍がないまま25年も社会生活できたことは驚きであったが、
住民票が作れたので学校や保険証などたいていの問題はクリアできたのだという。
ただ、パスポートだけは戸籍が不可欠であるのでクリアできない。
そこで、娘さんに初めて出生にまつわる事情を打ち明けた。
娘さんはもう母の苦しみを理解し事態を受け止められる年齢に成長していた。
元夫の現住所を調査し、
札幌家庭裁判所に親子関係不存在確認の調停を申し立てた。
25年の歳月は元DV亭主を穏やかな初老の紳士に変えていた。
元夫は快く協力してくれ、札幌家庭裁判所へは2度行っただけで、
娘さんと元夫との親子関係不存在は確認された。
ケース2 | 2008年事件:被告は検察官! |
1 亮子さんと正治さんは、最愛の息子さんを事故で失った。
高校受験のための塾からの帰宅途上、
酒酔い運転のトラックが歩道につっこみ15歳の若い命を奪った。
悲しみからようやく立ち直った亮子さんと正治さんは、
運転手などを相手取り損害賠償請求の訴訟を提起する決心をした。
2 依頼を受けて訴訟の準備を進め、戸籍謄本などを最終チェックしていて驚いた。
正治さんと息子さんとの親子関係は養子縁組になっていたからである。
聞くと、その昔・・・、
亮子さんは夫の度重なる浮気が原因で長年悩まされてきたが、
夫は「ありのままを受け容れろ。」と離婚に応じなかった。
亮子さんは意を決して夫との子2人を連れて家を出た。
その後、誠実でまじめな正治さんと出会った。
亮子さんは夫に離婚に応じてくれなければ裁判をすると迫った。
夫はしぶしぶ離婚届に判子を押した。
その半年後、息子さんが誕生した。
正治さんを父としては息子さんの出生届は受理されないことを知った。
やむなく、元夫の子として出生届を出した。
その後、二人は婚姻届を出し、正治さんと息子さんとの養子縁組の届け出をした。
これで実際も法律上も親子になったと思った。
今回の損害賠償の裁判の依頼をする際も、
息子の出生にまつわる事情を話す必要も無かろうと考えていた。
3 だが、二人が知らないことがあった。
息子さんの死亡事故の損害賠償請求訴訟の原告は、相続人である。
二人だけでなく戸籍上の父も息子さんの相続人なのである
(この3人の父母の法定相続分は各々3分の1ずつとなる。)。
更に問題なことに、息子さんの死亡事故の半年後、元夫が病死していた。
元夫は10年前に再婚しており、再婚相手が元夫の相続問題で、
亮子さんが引き取った元夫の子2人に連絡を取ってきて元夫の死を知った。
再婚相手との間に2人の子がいることもわかった。
すなわち、元夫の相続人は全部で5名
(再婚相手・その子2名+亮子さんとの子2名)になっていた。
このままでは損害賠償請求訴訟の方に大きな支障を生じかねない。
親子関係不存在確認の手続きをとるしか道はない。
しかし、戸籍上の親子双方死亡の場合、
誰を相手に親子関係不存在確認の手続きをとるのか?
答えは、検察官である。
しかも、調停ではなく訴訟(人事訴訟)によらなければならない。
4 検察官を被告として、東京家裁に親子関係不存在確認の訴えを提起した。
死者相互間の親子関係不存在の訴えの一番の難問は、立証方法である。
具体的には、
子の懐胎時期に戸籍親と実母に夫婦関係が無かった事の立証方法である。
戸籍親が死亡していても子が生存していれば、
子と実父のDNA鑑定で立証可能である。
また子が死亡していても戸籍親が生存していれば、
DNA鑑定は無理でも、戸籍親の側からの協力で証明可能となる。
本件はいずれも無理なケースであった。
となると、他の諸事情から親子関係不存在を証明するしかない。
血液型はどうか?
元夫はA型、亮子さんはB型、息子さんはB型。
息子さんが元夫の子ではないと断定できない。
住民票で別居の開始時を息子さんの懐胎時期以前に特定できないものか?
残念ながら律儀な亮子さんは、離婚が成立してから住民票を移動していた。
住民票(本件の場合は戸籍の附票)は証明資料にならなかった。
しかし、息子さんが5歳の時、
家族5人全員で七五三の記念写真を撮影していた。
家族5人全員そろっての写真は、その一枚だけだった。
元夫との子供2人のうち、
長女は元夫に生き写し、二女は亮子さん似であった。
息子さんだけが、正治さんにそっくりであった。
この記念写真を証拠で提出した。
更に、元夫との子供2人のうち長女が、
別居当時既に小学校6年生になっており、
別居後父親の顔を一度も見たことがなかったことや、
それ以前から父親は不在がちで外国で仕事中と聞かされていたこと
などを思い出し、それを陳述書にして証拠として提出した。
なお、本件のような死者相互間の親子関係存否の訴えでは、
過去の法律関係であることから、
現在の法律関係の紛争の解決に役立つという「訴えの利益」が必要とされる。
検察官からは予想通り、「訴えの利益」を欠くとの主張が出た。
先行して息子さんの死亡事故の損害賠償請求訴訟を提起しておいた。
損害賠償請求訴訟の訴状等を提出し、「訴えの利益」があることを主張した。
提訴後、約3ヶ月で無事親子関係不存在を確認する判決が出た。
現在、本命の損害賠償請求訴訟が進行中である