昨年は、「地下鉄サリン事件」を発端にオウム真理教教団の
恐ろしい犯罪の実態が次々明らかになった年であり、
またその過程で、
普通は事件の「黒子」役であるべき弁護士が、
事件の表に取り沙汰された珍しい年でありました。
この一連の事件の中で、
昨年9月に判明した坂本弁護士一家の結末は、
やはり、何度も涙してしまいました。
1989年11月、坂本弁護士一家が忽然と姿を消した時、
マスコミは一斉に「失踪」事件と報道しました。
しかし、私達弁護士の間には、「失踪」ではない、
坂本弁護士一家はオウム真理教教団に拉致されたのだ
−とのほぼ確信に近いものがありました。
これは「司法に対する重大な挑戦である」と、
私は、1990年の新年の挨拶状に書きました。
弁護士は、紛争のまっただ中に飛び込むわけですから、
このような事態もあり得る事件に関与する可能性が常にあり、
これを避けていては、最後の国民の救済機関である司法の、
その中でも、国民に一番近いところにいる弁護士の役割は果たせはしないと、
弁護士1年生であった私ですら、直接・間接に感じていたからでした。
坂本弁護士と個人的なつながりはありませんでしたが、
いてもたってもいられない思いで、寒い朝他の弁護士達と一緒に、
当時亀戸にあったオウム真理教の道場の周辺で
坂本弁護士一家を「生きて帰せ!」との思いをこめてビラまきに参加しました。
しかし、昨年松本被告の国選弁護人に選任された、
「黒子」に徹しかつ我が弁護士会生え抜きの弁護士達にも、
心からの尊敬とエ−ルを送りたいと思います。
おそらくは、このニュ−スを読んで下さる大半の方は、
首をかしげるかも知れませんが、
どのような極悪非道な被告人であっても
その言い分を主張し権利を守る職責を担うのが弁護士です。
しかし、往々にして世間にこの職責は理解されにくく、
あたかも悪事の片棒を担ぐのかと言わんばかりに非難される
ことも珍しくありません。
これを承知で弁護人になることは、
大きな勇気が必要であると同時に多大な犠牲を覚悟しなければならないからです。
私は、松本被告の国選弁護人達は、
亡くなった坂本弁護士と同じ志を持った弁護士達であると思いますし、
ともに、我々弁護士の「究極の良心」だと思います。
形は違えども、私も、自分の事件の中で、
少しでもこのような弁護士達に近づく仕事をしたいと思います。