夫婦別姓の賛成論者と反対論者が二手に別れて、
テレビ議論をしていました。
私は、弁護士稼業を、旧姓でしております。
自分の「姓」というものを考えました。
仕事上の姓を、変わったばかりの結婚姓にするか、
旧姓にするか、決めなければならなかったからです。
その当時、夫婦別姓の話題は、
さほど世論にはのぼっていませんでした。
私は、自分がもの心ついて以来呼ばれてきた「元倉」姓を
しがみつきたいほど素敵な名前と思っているわけではないのですが、
30年余り、この呼び名になじんできて、
私の人生は、この呼び名と不可分の関係にありました。
人の姓は、その姓の上に人間関係ができ、
社会的な信用も築かれていきます。
社会生活上の呼び名が変わると自分のこれまでの人生も
新しい姓に隠れてしまう −そんな喪失感のようなものを感じました。
私生活上はやむを得ないにせよ、
念願かなって弁護士としてスタートするのは、
自分のアイデンティティーである旧姓にしたいと思いました。
調べて見ると、残念ながら、
弁護士会でも依然として弁護士登録は戸籍姓でした。
ただ、弁護士としての仕事は旧姓を「通称」として使用でき、
裁判所関係もこの「通称」使用が認められていましたので、
社会生活上は旧姓のままで活動できます。
それにしても、「通称」というのは何となく怪しい雰囲気がします。
弁護士会くらいは、戸籍名でなく、
少なくとも戸籍関係で証明できる「旧姓」登録を認めるくらいの
先進性を持って欲しいものだといささかがっかりしました。
ところで、今巷で議論されている中身を聞きますと、
夫婦別姓反対論者の結局のところの根拠は、
「家族の絆」が壊れてしまうという点につきるようです。
男性だけでなく、女性の側からも、こういう意見が出ていることが驚きです。
しかし、離婚率の上昇は、現在の夫婦同姓制度の下で起きていることです。
夫婦別姓にしたからと言って離婚率が上昇するという実証はありません。
そもそも「家族の絆」は、
個々人の努力で培われるものですし、
そのあり方は、
社会や時代を背景とした個々人の人間観・人生観・社会観
に規定されると思います。
反対論者の言う「家族の絆」とは、
実のところは旧民法の「家制度」を言い換えただけなのだろうと思います。
結婚相手の姓に変えたければ変え、旧姓のままにしたければする、
それで生じる特別な不都合は実は何もないでしょう。
現在でも離婚の際に、
結婚姓を維持するか旧姓に戻るかの選択を認めており、
姓の変化に伴う社会的混乱に関する不都合は幾分解消されています。
結婚の際にも同様に選択できるとするだけのことです。
何よりも、戦後民主主義は、何十年もかけて
個人主義(利己主義ではありません。)をはぐくんできました。
より良き個人主義を実現するためにも、
少なくとも自分の「呼び名」を選択する自由を認めてもらいたいものです。