★★ 最後の守り手は裁判所である ★★
※氏名等は全て仮名。
「これからは、夜道の一人歩きはやめた方がいいですよ。」
−こんな恐いセリフをささやかれた前田敏子さん(56歳)は、
平成2年11月27日夜、たんぽぽ法律事務所に駆け込んだ。
この日から15年にわたる長い、あまりに長い戦いが始まった。
2 発端は夫婦の離婚問題であった。
敏子さんは、夫昭夫との離婚事件を当事務所に依頼したばかりだった。
長年にわたり、敏子さんは昭夫の凄まじい暴力の嵐にあっていた
(追記:当時まだこの言葉は知られていなかったが、
まさに「DV、ドメスティックバイオレンス」であった。)。
昭夫は、殴る蹴るは日常茶飯事、
37㎏の小柄な敏子さんを身体ごと抱え上げて床に叩き付けることも、
1度や2度ではなかった。
離婚の意思は双方一致していた。
だが、夫婦の財産である都内数カ所の不動産約500坪を巡り、
話し合いが難航していた。
とはいえ、この不動産は全て、もとはと言えば、
敏子さんの亡き両親が、戦前富山から上京し、裸一貫から、
公衆浴場経営という過酷な肉体労働を重ねて
築き上げた遺産であった。
昭夫は、結婚と同時に、熱心に浴場経営にいそしみ、
ちゃっかり養子縁組を果たしていた。
両親が相次いで亡くなり遺産をもらった途端に、
昭夫は浴場経営を放り出し、放蕩、不貞、暴力等を繰り返した。
今や、2か所の浴場経営も、敏子さんの細腕一本で支えており、
その経営状態は青息吐息であった。
しかし、バブル崩壊が始まったばかりの平成2年当時
の不動産価格はまだまだ高騰が続いていた。
青息吐息の浴場の不動産価格は自宅不動産も含めると、
総額30億円の評価がついていた。
だが、不動産の権利関係は複雑に入り組んでいた。
土地が敏子・昭夫の共有なら、
その上の建物は前田浴場有限会社の所有、或いはその逆、
更には一部に借地・借家があったり等々。
敏子さんは、両親の血と汗と涙の結晶である遺産を
売り払う気持ちには到底なれなかった。
他方昭夫は、さっさと離婚し、
財産を売り払って巨額の現金を手にしたかった。
3 かくなる上は叩き売ってしまえとばかりに、
不動産売却に同意しない敏子さんに業を煮やした昭夫は、
前田浴場有限会社の代表者であることを奇貨として、
会社名義の不動産売却の白紙委任状を各方面にばらまいた。
白紙委任状の一枚を手に入れたブロ-カ-欲田が、
突然敏子さんを呼び出し、「前田レポ-ト」と題する資料を見せた。
そこには、不動産関係の明細、敏子さん夫婦の長年の不和の経過、
そして、欲田に情報が入ってきた過程が詳細にレポ-トされていた。
「この通りヤクザが動いているからこの件全てを自分に任せて欲しい」
-との説得に応じない敏子さんに、
ブローカー欲田が最後に吐いた捨てゼリフが冒頭の言葉であった。
4 平成2年12月1日、「不動産処分禁止の仮処分」をかけた。
事は急を要していた。
敏子さんも、我々弁護士も、資金の工面、
膨大な不動産関係資料の整理等、
三日三晩、ほぼ不眠不休であった。
叩き売られようとしている不動産を緊急に守る手段は、
処分禁止の仮処分をかけることである。
仮処分をかけられた不動産は、仮に売却等の処分をしても、
後日覆されて処分が無効になる可能性が極めて高いため、
まともな業者は手を出さなくなるからである。
敏子さんに代表権がないため、会社名義の不動産に仮処分はかけられない。
昭夫と共有の個人名義の不動産を仮処分の対象とするしかない。
更なる問題は、何と言っても浴場経営は青息吐息であったから、
手持ち資金が決定的に不足していたことである。
不動産の仮処分には「保証金」がかかるのである。
公図、住宅地図、十数通の登記簿謄本を照らし合わせながら、
極めて重要な位置に、
極めて狭小な昭夫個人名義の土地を発見した。
この土地が売れなければ他の広大な土地も叩き売れない、
まさに「へそ」となる土地であった。
ここなら保証金も安くてすむ。
この「へそ」地に仮処分をかけたのである。
5 違法行為差止請求訴訟提起、離婚調停申立。
仮処分に続いて、平成2年12月初旬、会社代表権を濫用して
会社所有の不動産を叩き売ろうと画策している昭夫を相手に、
違法行為差止請求訴訟を提起した。
続いて、平成3年1月、離婚・財産分与・慰謝料を求めて調停を申し立てた。
以上と並行して、前述の仮処分以降、
敏子さんのもとにも、そして我々弁護士のもとにも、
不動産業者まがいの人間が入れ替わり立ち替わり現れ、
様々の取り引き話し(もうけ話し?)を持ちかけてきた。
敏子さんの取り分は10億だとも、
弁護士さんにも1億円などとも、全くとんでもない数字が踊った。
しかし、敏子さんは、
「前田の土地は、絶対に売らない。」との姿勢で一貫した。
我々弁護士と敏子さんとは、話し合いを重ねた。
当時、暴力団が、民事事件に介入している事件が頻発しており、
我々は、この件に暴力団が介入するのは時間の問題だと考えた。
我々と敏子さんとは、姑息な誘いは全てはねつけて、
「最終的な解決は、裁判所しかない。」
と関与者全員を裁判所に引きずり出すことで一致団結した。
仮処分で一旦収まったかのように見えたが、事態は深く進行し、
仮処分以降毎日閲覧調査していた登記簿謄本に、
突如総額10億円の根抵当権仮登記が登場したのは、
翌年2月初旬であった。
それ以降、怪しげな人間・会社が次々と、
億単位の担保権や賃借権設定登記等で登場し、
ついに、敏子さん個人名義の不動産以外の、
仮処分をかけた「へそ」地も含めて全ての所有権移転登記が、
闇不動産ブローカ-悪川になされたのである。
我々の調査で、背後に住吉連合と、山口組の人間いることが判明した。
平成3年3月、違法行為差止訴訟は勝訴した。
6 すぐに、昭夫の取締役解任請求訴訟を提起した。
会社の代表権を取り戻すためである。
裁判外では、更に悪川から転々譲渡され、新たに各種担保権が登記された。
登記簿は、もはや目も当てられない状態となった。
この頃になると、敏子さんや我々弁護士の前に登場するのは、
正体不明の人間ばかりとなった。
ある者は、電話で、色々「取り引き話」をし、これに応じないとみるや、
「悪川というのがいるでしょう?金は、私から出ているんですよ。
先生、私の名前を覚えておいて下さいよ。
そのうち、私と話したくなりますよ。」
と凄んで電話を切った。
平成3年8月、裁判で、昭夫の取締役解任請求が認容され、
敏子さんに代表権が移った。
ここに至って、ようやく
会社名義の不動産の取り戻し訴訟の提起が可能となった。
7 すぐさま、会社不動産の全ての取戻し訴訟を提起した。
具体的には、
会社不動産上の全ての担保権等設定登記・所有権移転登記の抹消を求めて、
登記簿に登場する悪川ら6名を被告とし、
代表取締役の権限濫用、公序良俗違反を理由に、
全ての契約の無効を主張して、訴訟を提起した。
裁判外の有象無象の関わりを断ち切って、
会社不動産に群がった事件屋、ブロ-カ-、そして、暴力団員を、
裁判所に引っ張り出すお膳立てが整ったのである。
しかし、相手が相手である。
裁判が始まったといっても、油断はできなかった。
敏子さんには、裁判外で起こる全てについて、
これまで同様、逐一我々弁護士に報告するよう指示した。
裁判が始まって半年も立たないうちに、
今度は、敏子さんの息子さん達に、被告の一部が、接触し、
「お母さんは、弁護士に騙されている。
勝てるわけのない裁判を、あの弁護士達は、
金儲けのために起こした。
無駄な時間をかけないで、ここらで手を打たないか。」
等々と、レストランで食事をごちそうして、持ちかけた。
(ちなみに、勝てるわけのない裁判で弁護士は金儲けはできない。)
息子さん達は、すぐに我々に報告に来てくれた。
即座に、息子さん達が聞いた話を報告書にし、公証役場で確定日付を取った。
この息子さん達の報告書は、後日裁判での被告達の「悪意」の証明、
すなわち取引時昭夫の代表権濫用の事実を知っていたという事実
の間接証拠として、提出した。
8 平成7年秋、裁判の最終場面敏子さんの尋問準備の時、
敏子さんが、私に、
「最近、テレビで『正義は勝つ』という弁護士さんのドラマを見たんですが、
『正義は勝たない』んですねえ 。」と、溜め息混じりに話した。
私は、
「確かに、残念ながら、裁判では常に『正義が勝つ』とは限らないと思います。
でも、敏子さんの件に限って言えば、『正義は勝つ』ですよ! 。」、そう答えた。
敏子さんは、法廷での尋問の最後で、
裁判官達に、お願いがあるとして、こう本人尋問を結んだ。
「昭夫も、欲の深い人間でした。
でも、この裁判の被告の方達は、もっと欲深いと思います。
天にかわって裁判官に、天罰を加えていただきたい。」。