★★★ 金1500万円の支払いと
病院協会機関誌への本件症例報告掲載の努力を約束★★★
K子さん(当時16歳)は1988年7月初旬

不幸にも突然重驚な脳炎に罹患した。
K子さんのご両親は、今でも当時を鮮明に思い出す。
K子さんが突如、意味不明の言葉を発し始め、
両手首をカミソリで切り、
衣服等に火をつけるという行動を取り始めるとともに、
頭痛・発熱を訴え出したのである。
2 両親は、途方にくれ、急いでX病院(精神神経科)の門を叩いた。
診療にあたったY医師の診断は『ヒステリー』、入院の要なし、であった。
両親は忠実にY医師の指示に従った。
が、K子さんの症状は、急速に悪化した。
言葉が出なくなり、よだれを垂れ流し、おむつを必要とするようになり、
そして歩くことすら困難となった。
両親の心配は極限に達しつつあった。
3 後日の裁判での他の医師の法廷での証言によれば、
7月18日には、明白に脳炎を疑わせる異常波が脳波に現れていた。
しかし、実際のY医師の指示は従来の投薬のみであった。
両親は思いあまって他院の門を叩いた。
即『脳炎の疑い』との診断の下、
緊急に都立病院への転院となった。
しかし、都立病院での緊急治療も、時既に遅かった。
7月24日、K子さんは16歳の短い生涯を閉じてしまったのである。
4 両親にとってあまりにあっけなく、悪夢の如き20日間であった。
しかし、いとしすぎる娘さんの死は、現実のものであった。
親としてなすべきことがもっとあったのではないかとの自責の念と、
あれ程に必死で訴えたにも拘わらず、
『ヒステリー』との診断の下に漫然と治療を続けたY医師に対する怒り
との狭間で揺れ動く日々が続いた。
……そして決心した。
Y医師とX病院の責任を明らかにするとともに、
全国の医師へ警鐘を乱打するため、
X病院とY医師を相手取り、訴を提起したのである。
5 東京地裁での約3年間の審理の後、
病院側は両親に1,500万円の和解金を支払うとともに、
同種疾患の治療に関し、精神科医療一般の参考とすべく、
精神病院協会の機関誌に本件症例の報告を掲載できるよう努力することを約し、
厳しい道のりであった。
しかし、1,500万円という和解金額は病院側の有責性を物語り、
何よりも、
本件事例を全国の精神科医の目に触れさせるための具体的努力を約束させたことは、
両親の『警鐘を乱打せん』とした思いのいくばくかをかなえ得るものであった。
これは判決というものでは得られない結論でもあったのである。