1 ただより高いものはない
父の土地の一部に息子が家を建てて息子家族が暮らす、
父が母に遺した家に娘夫婦が同居する。
親子なんだから、契約書なんて、賃料なんて水クサイ。
父の母の老後を看取った後、息子が娘が、
円満に土地を建物を相続する。
…世間によくある平和な物語である。
第1の問題は、
期間や使用目的を明記した契約書を作らなかったからであるが、
最大の問題は、
賃料の支払がなかったからである。
不動産を、賃料払って借りるのを賃貸借、ただで借りるのを使用貸借という。
賃料支払の一点が、借り手の側の権利の強さを左右する。
ただより高いものはない。
資本主義社会のこの掟は、親子関係にも入りこむ。
2 フランスに住む娘に、父母が帰国を懇請
資産家の父は、平成2年暮れ、
親から相続した不動産(自宅&アパート)を売って新築一戸建を購入した。
ところが、不動産の売買代金5億円中、
残代金1億円を払わないというトラブルが発生。
不動産の所有権登記は既に買主に移転してしまっていた。
世間に疎い父は、
代金完済前に登記関係書類を引き渡すという契約書
に署名・捺印してしまったのだ。
バブル崩壊が始まっていたこの時期、
代金支払を巡る不動産トラブルが頻発していた。
が、これは、バブル崩壊以前の不動産取引の常識の問題であり、
起きるべくして起きたトラブルであった。
交渉能力の無い父は、娘に後始末を押し付けて来た。
遊び人の父は、老いてもなお愛人のもとに入り浸り、
持病の心臓発作で入退院を繰り返す老妻を放り出していた。
母は娘にそばにいて欲しかった。
娘は、結婚の時、フランス人の夫に、父との約束で、
いずれ日本に帰国して家を継ぎ父母の面倒を看なければならない
夫も職を捨て、
初めての地の日本で日本語のレッスンから始めなければならない。
悩みに悩んだ末、娘は夫に相談した。
夫は、答えた−「来るべき時が来たんだね。」
二人は、帰国を決めた。
3 平成3年夏、使用貸借始まる
娘夫婦は、父が問題の不動産売却で得た4億円の代金のうち
2億円を投じて購入した新築一戸建に父母と同居した。
同居にあたって何の契約書も取り交わさなかった。
賃料は当然無料である。
夫は半年間日本語の特訓を受けてフランス系企業に就職した。
娘は、自分の職を探す暇もなく、不動産トラブルの処理に奔走した。
娘は、買主を調べ上げ、
単なるダミーに過ぎなかった買主会社の背後の親会社を引っ張り出し、
残代金の支払約束をさせ、
更に残代金完済までの間旧自宅とアパート使用の妨害をしないとの念書を取り付けた。
娘は、父母を旧自宅に移し、空っぽになっていたアパートに賃借人を入れて、
その賃料収入を父母の生活費に充てるようにした。
娘は、A社の元上司から弁護士の紹介を受け、訴訟も提起した。
面倒がる父を無理矢理連れて行った弁護士との打合わせの最中、
父は、娘の横で居眠りをした。
娘は、毎日旧自宅に通い、家事をし、母の世話をした。
こともあろうに、
隣接するアパートの空き室で父と愛人の情事の現場に出くわしたこともあった。
愕然とした。
母の身体を熱いタオルでふきながら、娘は涙した。
母は、娘の帰国の2年後、心臓発作で亡くなった。
通夜も葬儀も全て娘がした。
愛人は、公然と旧自宅に出入りし始めるようになった。
後日不動産トラブルが解決するまでの間の賃料収入の総額は、
約5年間で5,000万円にもなった。
この賃料収入全て父が愛人との生活に費消した。
平成11年4月、不動産トラブルに解決の兆しが見え始めた。
和解交渉は弁護士に任せ、娘は、アパートの賃借人10世帯との明渡し交渉をした。
3,000万円の和解金を得て、不動産トラブルは解決した。
平成12年3月和解金の分割支払が終了した直後、
愛人は、父を引き連れて、娘夫婦に建物明渡しを要求してきた。
愛人は父の妻となっていた。
調べたところ、愛人が妻の座を得たのは、前年5月、
不動産トラブルに解決の兆しが見え始めた直後であった。
娘はこの要求を断った。
4 平成13年春、父は娘夫婦を訴えた
使用貸借契約終了を主張して建物明渡請求の訴を提起したのである。
娘夫婦の依頼を受けた。
法形式的判断では、圧倒的に娘の方が不利であった。
実態で押していくしかない。
娘の願いは、父のみ帰ってきてくれることだった。
母が亡くなる直前に言い残した。
「どんなことがあっても、家族は仲良くしてね。」
この言葉が、父を恨み切れなくさせていた。
亡き母は今でも夢に出てくるのだ。
途中、裁判官が設けてくれた和解の席も、強気の父は一蹴した。
が、「子」不孝もここまでであった。
父は脳出血に倒れた。
半身不随、話し言葉も呂律が回らず意味不明となった。
病院で父は、震える手で、紙切れを娘に渡した。
「帰ってくれ。」の一言が書かれていた。元愛人の字だった。
「帰ってくれ。」の言葉の裏に「引き取ってくれ。」の言葉が隠れていた。
その後の裁判の和解には、
元愛人が、病の原告にかわりその妻の立場で堂々登場し、
「まもなく自分に入る相続分」の2分の1を主張した。
娘は一蹴した。
5 判決が下った
裁判官は、本件の事実経過について娘の主張を全面的に認め、
「本件使用貸借は、
相続を前提として娘の終身日本における住居を確保する目的であり、
その使用目的は未だ終了していない」
として、父の請求を棄却したのであった。
ただより高いものはない− これを最後に思い知ったのは、
誰だったのだろう?