1 天然歯のように物を噛め、味覚変わらず、見た目美しく、
取り外しの不便もなく、しかも半永久的に使える−
と聞いたら、入れ歯は「まだチョット…」とためらう向きは、
高額自費のハードルも「エイ!」と飛び越えてしまうのではなかろうか?
インプラント治療とは、
失った歯の下のアゴの骨にインプラント(=人工の歯根)を埋入し、
これを支えにして美しい人工の歯をかぶせる治療である。
かむ力を支える強固な安定性は不可欠であるから、固定に失敗すれば、
インプラントを撤去せざるを得ない。
生体に異物を突っ込むのであるから、うまくいかなければ、
口臭、物を噛めない、普通にしゃべれない、歯茎が腫れる・痛い、
頭が痛い、身体がだるい等々に悩まされることもある。
2 平成5年5月、当時26歳のうら若き可憐な麻子さん(仮名)、
藪歯科医(仮名)のインプラント治療を喧伝する雑誌の記事を目にし、
上顎の抜歯痕(一箇所)の処理の相談に軽い気持ちでクリニックを訪れた。
など間髪入れずの援護射撃を織り交ぜながら、
藪歯科医は、
アメリカでの先端技術の研修経験や
華々しい治療歴等を滔々と語った。
「天然歯と同じ・半永久的にもつ」との話に心が動かされ、
麻子さんはインプラント治療を決めた。
3 インプラントが打たれ、その後高価な陶製の人工歯がかぶせられた。
一本歯ではなく、フルマウスブリッジという上顎全体にかぶせる大きな人工歯であった。
装着後まもなくこのブリッジはぐらつき始めた。
他の歯や歯茎が痛み、はれ、物を噛めなくなった。
ブリッジは、装着後わずか一年半で除去され、暫定的に仮歯をかぶせられた。
この間、麻子さんの上顎の残存歯の状態は悪化し、
次々削られ、抜かれた。
治療は、いつも何の説明もなく始まったが、
極めつけは、平成9年5月、治療台に座った途端告げられた、
別な抜歯箇所への予定外のインプラントである。
4 他院で精査した結果、
上顎洞炎の原因は、アゴの骨から上顎洞に突出したインプラントにあること、
更に麻子さんに施されたインプラントは、
その丈(顎骨に埋め込む部分)を短く加工してあったために、
極めて安定性に乏しいものであったことが判明した。
麻子さんは、数年かけて他院で、上顎洞炎の治療だけでなく、
インプラントを撤去し、上顎歯全体の治療をした。
が、時既に遅く、
上顎歯は最悪の状態となっており、わずか三本の歯根のみ残し、
31歳の若さで「総入れ歯」を余儀なくされた。
5 証拠保全で得たカルテ(コピー)を詳細に検討した結果、
麻子さんの上顎は、インプラントを施すには骨量・骨幅があまりに不足していたこと
が判明した。
インプラントは、その強固な安定性が命である。
強固な安定性を担保するには十分な骨量・骨幅が必要である。
骨量・骨幅に不足のある麻子さんに、藪歯科医は、
インプラントの丈を短く加工してまで無理に実施したがために、
かえってこのインプラントは不安定になった。
この脆弱なインプラントを支えにフルマウスブリッジを上顎全体にかぶせたがため、
インプラント自体のぐらつきが、シーソーのように作用して他の健康な歯に波及し、
徐々に他の歯を痛めた。
更にその後も長期の仮歯期間で、シーソー作用が継続し、
とうとう上顎全体の歯に不可逆的なダメージを与え、
結果、「総入れ歯」状態にし、上顎洞炎も併発させたとの判断に行き着いた。
医療裁判においてはカルテが最大の証拠である。
歯科のカルテは一般に極めて簡略であるので、治療経過を詳細に追いにくい。
また、本件では治療開始前に撮影した歯全体のレントゲン写真が喪失していたため、
治療による損害の正確な確定も困難であった。
更に、カルテ外の重要な事実は当事者の記憶の具体性・正確性に左右されるが、
当事者の記憶は時の経過とともに薄れていき、
特に本件のように長期間に亘る治療では、前後関係も曖昧になりがちとなる。
カルテ以外の資料も照合しながら、
自分の記憶を掘り起こし整理して
弁護士に報告してくれた。
年齢の若さによる記憶力に加えて、体験した本人が学習するのであるから、
その記憶は極めて正確に具体的に再現されて行った。
6 提訴までの準備期間は長かったが、提訴後の裁判の展開は早かった。
提訴後1年4ヶ月で、本人尋問や証人尋問を経ずに和解が成立した。
治療費及び慰謝料請求額の満額近くに相当する和解金金1000万円
が支払われた勝訴的和解であった。