広島・長崎へのヘの原爆投下から72年目の昨年7月には、
国連の条約交渉会議で「核兵器禁止条約」が採択された。
国連加盟国の3分の2に近い122か国が賛成、
反対1票(オランダ)、棄権1票(シンガポール)。
この条約は、
核兵器やその他の核爆発装置の開発、実験、生産、製造、取得、保有または備蓄のほか、
これらの兵器を使用したり、使用の脅しをかけたりすることを含め、
ありとあらゆる核兵器関連の活動を禁じている。
アントニオ・グテーレス国連事務総長は、
「核兵器のない世界という共通の夢の実現に大きく貢献する重要な一歩」
と語った。
報道官は、
「事務総長は、この新たな条約が、核軍縮という長年の目標達成を目指す
包括的な対話と国際協力の再活性化を促進することを期待している。」
と付言した。
(国際連合広報センター)
この核兵器禁止条約採択は、
国の大小を問わず、堂々とものをいう政府など一連の国々が主役となり
市民社会と力を合わせたことによる。
徹底した民主主義と互いに対等平等の立場で尊敬しあうというリスペクト。
しかし、唯一の戦争被爆国で元来なら核兵器廃絶の先頭にたつべき日本校政府は、
米国など核保有国と同一歩調をとり、国連の条約交渉会議にすら参加しなかった。
その国連会議の空いた日本の席には、
「あなたがここにいてほしい」
と英語で書かれた折り鶴が置かれていたとか。
日本政府は条約採択後の今も
「署名も批准もしない」
と核兵器廃絶に背を向け続けている。
昨年10月には、核兵器禁止条約を推進した
「核兵器廃絶国際キャンペーン」
(ICAN。核兵器を禁止し廃絶するために活動する世界のNGOの連合体)
のノーベル平和賞受賞が発表された。
12月にノルウェーのオスロで行われた授賞式では、
ICANのベアトリス・フィン事務局長は
「今回の受賞は、被爆者をはじめ多くの人々の努力に与えられたもの」
と述べた。
カナダ在住の被爆者サーロー節子さんは、
「人類と核兵器は共存できない」
「核兵器禁止条約を、核兵器の終わりの始まりにしよう」
「世界の全ての国の大統領や首相たちに懇願したい。
核兵器禁止条約に参加し、核による絶滅の脅威を永遠に
除去してください」
などと呼びかけて万雷の拍手に包まれた。
核兵器禁止条約の国連会議での採択
と
「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」ノーベル平和賞受賞
は、
昨年の最も喜ばしいできごとであった。
アメリカの「核の傘」による「庇護」を
絶対視する「核抑止論」に固執する日本国政府。
核兵器禁止条約ヘの参加を迫る国会での追及への政府答弁は、
「一方的議論は核兵器国と非核兵器国の対立を一層深め、逆効果」
というもの。
「核の傘」に入るということは、
日本国憲法や被爆体験といった日本の基本的立場
をねじ曲げてでも
核保有国アメリカの言うことを聞かざるを得ない
ことに繋がる。
大多数の日本国民が求めているものは、
核兵器のない世界であり、
戦後72年間その道をめざし続けて来た。
唯一の戦争被爆国として、
こんな「属国」に甘んじる「核の傘」に入り続けることなく、
核兵器廃絶を願い平和を求める多くの人々と力を合わせ、
一日も早く、核兵器禁止条約に署名・批准するような
日本国政府
をつくりたいもの。
朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核の脅威
に直面しているのは日本だけではない。
しかし、アジアの国はほとんどが核兵器禁止条約に賛成の道を選択した。
北朝鮮に非核化を迫るには、
核兵器禁止条約の道、非核の道
を選ぶほかはない。
核兵器禁止条約は、
核兵器を禁止するだけでなく、
核兵器保有国が将来、
どのようにこの条約に入り、核を放棄していくか
の道筋も示す。
世界の核保有国がみんな核兵器を捨てるから、
北朝鮮も核開発を放棄せよと、
全ての核兵器を禁止することこそ説得力ある道となろう。
先のサーロー節子さんは、
核兵器禁止条約に反対し、核保有に固執する9か国につき、
「都市全体を燃やし尽くし、地球上の生命を破壊し、
この美しい世界を将来世代が暮らしていけないものにすると脅し続けている。」
と表する。
さらに、同氏は、
「核兵器の開発は国家の偉大さが高まることを表すものではなく、
国家が暗黒の淵へと堕落することを表す。
核兵器は必要悪ではなく、絶対悪」
「核抑止論は軍縮を抑止するものでしかない、
私たちはもはや恐怖のキノコ雲の下で生きることはしない。」
という。
このような被爆者の願いとともに、
核兵器廃絶を願い平和を求める多くの人々と連帯し、
必定「核」戦争への加担の道に繋がる
安倍9条改憲「発議」
を許さないたたかいを広げたい。