たんぽぽ法律事務所

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歓迎された日本国憲法〜(2016年1月1日)弓仲

改憲を主張する人達は、日本国憲法については、

  占領軍から「押しつけられた憲法」として批判する。  

しかし、一体、誰が「押しつけられた」というのであろうか?

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1 「天皇主権」の大日本帝国憲法(「明治憲法」)下の「臣民の権利」は、天皇の権力に隷従する存在たる「臣民」に対し、ありがたい「天皇陛下」の「大御心」に基づく恩恵として、「法律の範囲内」で与えられたものに過ぎなかった。

万世一系の天皇の特権的地位を前提としての、その範囲内での権利でしかなかった。

そのために、言論の自由といえども、皇室の尊厳を害する言論は認められなかった。

また、信教の自由といえども、天皇の信ずる宗教たる「国家神道(神社神道)」を、「臣民」に強制することを妨げなかった。

信教の自由は、天皇及び神社への信仰と両立する限りでのみ認められたに過ぎない。  

天皇の軍統帥権の独立(兵政分離)のもと、国務大臣や議会の関与なきまま、軍部の暴走による戦争が、空襲や広島・長崎などの大きな被害をもたらした。

 

2  連合国のポツダム宣言を日本国政府が受諾して終戦(敗戦)に至った。

同宣言は求めていた。  

「日本国国民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に対する一切の障礙を除去」し、  

「言論、宗教及思想の自由並に基本的人権の尊重は確立」され、  

「日本国国民の自由に表明せる意思に従ひ平和的傾向を有し且責任ある政府が樹立」されるべきことを。

 

3 ポツダム宣言を誠実に履行するためには明治憲法の根本的変革は不可避であった。  

しかし、政府の当初の憲法草案は、「統治権の総攬者」としての「天皇の地位」に変更を加えるものではなかった。

政府のサボタージュ甚だしきに、連合国軍総司令部は、

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民政局に極秘裏に設けられた憲法草案作成チームにより、

短期間で憲法草案(いわゆるマッカーサー草案)を起草した。

起草に際しては、各国の憲法や民間の憲法草案も参照され、

特に憲法学者鈴木安蔵らの「憲法研究会」案が関心を引いたという。

女性の権利条項は、民政局文官ベアテ・シロタ女史の起案による

(ベアテ・シロタ女史については、「たんぽぽニュース」28号(2009.1/1)参照)。  

総司令部案は、日本国政府の思惑を遙かに超え、明治憲法の根本原理そのものの変更を含むドラスティックなものであった。

日本国政府は大きな衝撃を受け、様々な抵抗を試みたが受け入れられず、結局、総司令部案に沿った内容での内閣案「憲法改正草案」が発表された。

 

4 当時は、民間の憲法草案もいろいろ起草された。  

共和制を主張する高野岩三郎案、国民主権を前提として「専ラ国家的儀礼ヲ司ル」天皇を考える前述の「憲法研究会」(憲法学者鈴木安蔵ら)案)など、より進歩的な案もあった。  

女性をも含む普通選挙(女性参政権の実現。39名の女性議員が誕生した。)で選ばれた衆議院は、実質的には、日本で初めての男女普通選挙で選ばれた憲法制定議会となった。


衆議院では、主権問題での曖昧性を除去し、「国民に主権が存すること」を明示したほか、

内閣案に表現上の若干の修正を施した上、

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圧倒的多数の賛成で可決された。  

その後、貴族院でも若干の字句修正ののち

3分の2以上の多数で可決され、

衆議院の同意で帝国議会の議決が成立。  

明治憲法の手続に則る枢密院の可決の後、

天皇の裁可を得て、「日本国憲法」として公布され

(1946(S21)年11/3)、翌年の施行(1947(S22)年5/3))に至る。

 

5 明治憲法下で、  

言論の自由を奪われもの言えぬまま戦場に送られた男性たちにとっても、  

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父を、夫を、息子を、恋人を戦争に奪われた女性たちにとっても、  

刑罰の脅しで筆を折られ分筆家・小説家にとっても、  

不本意にも戦争協力の絵筆をとらされた画家にとっても、  

その他圧倒的大多数の国民にとっても、  

国民主権、戦争放棄、基本的人権の尊重をうたう「日本国憲法」は

諸手を挙げて歓迎されたのである。

 

6 自由民権運動下に起草された植木枝盛の「東洋大日本国国憲按」や千葉卓三郎の「五日市憲法草案」などを源流として流れる人権思想は、明治以来、大正デモクラシーを経て脈々と受け継がれ、戦後の「憲法研究会」草案、マッカーサー草案を経て、「日本国憲法」に結実したものである。  

女性参政権の実現の下での完全普通選挙により選ばれた実質的な「憲法制定議会」が支持し、明確化したとも言い得る「国民主権」、「個人の解放・尊重と基本的人権の保障」、「軍国主義を清算しての平和主義」などは、多くの国民の憲法意識に沿う歓迎すべきものであった。

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7 今や、戦争法強行による戦前回帰の「戦争する国」づくりや憲法の明文改憲策動がもくろまれている。  

ポツダム宣言の精神を受け入れられず、明治憲法の根幹を変えずに、「国体護持」を目指していた当時の日本国政府及びその指導者達や彼らに連なる人々にとっては、総司令部からの「押しつけ」と思えたとしても、日本国民一般にとっては「押しつけ」ではなかった。  

そのことに思いを致し、日本国憲法をねじ曲げた解釈改憲反対、明文改憲反対、戦争法廃止の声を広げたいものである。

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