アウシュビッツふたたび〜(2015年8月15日)元倉
26年前の1989年3月、私は一度ここを訪れていた。
ワレサ議長率いる「連帯」が自由選挙圧勝(6月)に突き進む
ポーランドの歴史的躍動の時期であった。
が、ここだけ時間が止まったまさに歴史の博物館であった。
当時は訪れる観光客もまばらであった。
ガイドもいなく、本を片手に一つ一つの展示を見て歩いた。
私も今回はガイドに引率された日本人グループの一員である。
グループ10人中8人が20歳過ぎたばかりの若者、
頼もしい限りだ。
ガイドはアウシュビッツ博物館初にして唯一の
日本人公式ガイド中谷剛氏である。
展示物を前に当時の歴史をひもとく
中谷氏のその淡々とした語り口がかえって過去を生々しく現在に蘇らせる。
日本では、戦後生まれの世代が、
今や、人口の八割を超えています。
あの戦争には何ら関わりのない、
私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、
謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。
(8月14日の安倍首相の戦後70年談話の一節)
今日の人口の大部分は
あの当時子どもだったか、まだ生まれていませんでした。
この人達は自ら手を下していない行為について
自らの罪を告白することはできません。
ドイツ人であるというだけの理由で、
粗布の質素な服をまとって悔い改めるのを期待することは、
感情を持った人間にできることではありません。
しかしながら
先人は彼らに容易ならざる遺産を残したのであります。
罪の有無、老幼いずれを問わず、
われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。
だれもが過去からの帰結に関わり合っており、
過去に対する責任を負わされております。
問題は過去を克服することではありません。
さようなことができるわけはありません。
後になって過去を変えたり、
起こらなかったことにするわけにはまいりません。
しかし過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目なります。
人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。
(今年1月31日、94歳で亡くなった「ドイツの良心」
ワイツゼッカー元ドイツ大統領の敗戦40周年記念演説)